「そんなこと、非科学的だから信じない」
このブログに書いていることって、科学的とは言えないです。間違いなく。
ヒーリングとか、占いとか、陰陽五行理論とか、ありえないですよね。普通。
信じないのが普通です
じつは私自身も、どこかで醒めた見方をしています。
だいたい、科学が発達して情報が瞬時に伝わるようになったこの時代、なんで世界が「木」「火」「土」「金」「水」の5つで成り立っているとか、偶然に引いたカードや偶然に出たサイコロの目で物事が当てられるのかとか、なんかよくわからないエネルギーで運が良くなるとか、どうかしてますよね(笑)
でも、確かに、真実ではないかもしれないのですが、非科学的っぽく考えた方が、非科学的っぽいものの見方をしたほうが、うまくいくことがあるんです。不思議ですが。
そう考えた方が上手くいくし、楽しくなることが多いんです。
「補助線」という発想
同じようなことが、算数の図形問題にもあったりします。「補助線」を引くと、それまで見えなかった解法が見えてくることってありませんでした??
たとえばこんなのとか
算数の図形 (面積計算)は補助線で理解する!【パパが教える算数教室】
こんなのとか
図形といえばやっぱり補助線が命ですよね。 – それ、僕が図解します。
実際にはない線を引いてみることで、はるかに楽になる。
線は実際には存在しないかもしれないけど、考え方とかものの見方を変えて、存在すると仮定すると、不可能が可能になったり、苦痛が楽になったり、楽しくなったりする。
これって、楽しいと思いません??
見えないものが見えてしまう錯覚
少し話題を変えましょう。
この矢印の先には何が見えますか?
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「マル」が見えません??
積極的に見ようとしなくても、自然に「マル」が見えるように脳みそはできています。
じつは上の画像の矢印たちは、最初に「マル」を描いてからつくりました。
「マル」を消した後は、「マル」がないはずなのに、「マル」が見えてしまいます。
実に非科学的です。
ないものが見えてしまうわけですから。
でも、存在しないからと言って、間違いとも言えない。間違いかもしれませんけど。
「電流」って本当は存在しないって知ってますよね??
電気は、プラス極からマイナス極に流れる。当たり前ですよね。
小学生の時に習いましたよね。乾電池と電球で実験したりして。
でも、電流って、実在しないって知ってますよね??
実際には、電子の流れは、マイナス極からプラス極に流れます。
プラス極からマイナス極に流れる電流なんて、全く存在しないわけです。
科学なのに、実に非科学的です。学校でも教えているくせに。
なぜこんなことになるかというと、そう理解しておくことが便利だからです。習慣になっているから。
「真実」を追求しすぎて不幸になってませんか?
「真実に近づこう」とか、「科学的であろう」という姿勢は大事ですよね。
でも、「真実でないからダメ」とか「非科学的だからダメ」という考えになってしまうと、逆に真実や科学から遠ざかることもあります。
日常の生活の中でも、ギスギスしたり、ゆとりがなくなったりしやすくなるのではないでしょうか。
「真実かどうかわからない」「科学的でない」
「でも、非科学的な考え方も面白いし、ワクワクするし、役に立つ。悪くないな」って考えた方が幸せかなって思います。
少なくとも、私はそれで十分に幸せです。